2、豊臣秀吉の時代

西暦 年号/年 主な出来事
1582 天正 10 6/2 本能寺の変にて信長・信忠死す。備中高松城攻めの秀吉は、毛利軍と和睦。
6/13 秀吉は、山崎の合戦で明智光秀を破る。
1583 11 4月 賤ヶ岳の合戦にて柴田勝家を破る。
9月 「大坂の町・第一期改造計画」 秀吉は、三年前迄この地にあった石山本願寺を攻め喘ぎ、その堅城地ぶりから、新城を築くのが最適地と考えていた。
9月1日~大坂城の築城 第一期工事=本丸と天守を開始。
8月末から、30余国の諸大名から月5万人を動員し、石の切出しと運搬開始。
1584 12 2月 第二期工事=二の丸、第三期工事=忽構堀を着工。そして、城下町の検地に着手する。
3月 小牧・長久手の戦い、織田信雄・徳川家康と11月和合す。
4月 本丸の工事完了。
1585 13 1月 毛利輝元・上杉景勝が、秀吉の臣従となる。
7/11 関白となる。
9/9 豊臣姓を賜る。紀州、四国、北陸を平定。
大坂城の天守閣が完成(本丸の北東隅の天守は8層、最上階に回廊付展望台、屋根は金箔張、各階に金・銀・生糸・緞子(ドンス)・茶器・刀・武道具部屋有り)。まず、城下町開発として東横堀川を開削。
戦国時代からの城郭建築は、壕をめぐらし石垣を用いて高い土塁の上に天守閣を築く形式の集大成が「大坂城(黒色)」で、史上最高規模の豪壮華麗さを誇りました。
1586 14 2月 大坂築城の石運びの掟を決める。
10月 家康が巨従となる。
12月19日 太政大臣となる。
1587 15 5月 九州平定。
6月 キリスト教禁教令発布。
10月 京都の北野神社で、秀吉主催の大茶会を開催。
1588 16 7月 刀狩令を発布。
1589 17 5月 淀殿、鶴松を生む。朝鮮と国交始める。
1590 18 3~7月 「小田原攻め」にて北条氏滅亡。
8月 東北地方を平定し、全国統一。
1591 19 66ヶ国人掃い令を出す。
8/5 鶴松病死。
12/27 関白を秀次に譲り「太閤」を名乗る。
1592 文禄 第一次朝鮮侵略(文禄の役)。大政所病死。貿易船制度を制定。大名や商人が勝手な貿易をする海賊を取締り、貿易船と区別する証明書を発行する。
徳川家康は、この政策を継承、朱印状を発行し「朱印船」と証しました。
秀吉は、「伏見城」の築城を開始
1593 2 6月 明と講和交渉に入る。 8/3 淀君、秀頼を誕生。
3月 秀吉は、伏見城に移住。
1594 3 3月 秀吉は伏見城に移住。
大坂城の外周惣構が完成(延長308町=約13㎞)
北は大川(旧淀川)東は猫間川(平野川)西は東横堀川を開削、南は空堀を開削し外周を形成。(現、大阪城敷地の3倍) 
この大工事は、遠近諸国から無類の石材や木材が舟で次々と運ばれ、段取りが悪いと、所領没収の厳罰が下されるので大名は必死で、付近の水上には、遠路から何日もかけ運んだ1000艘の運搬船がひしめき合い、巨石を川に落としてしまう事もありました。  
1595 4 伏見大地震により伏見城が崩壊、再普請を開始。
7月 秀次を高野山に追放し自殺。諸大名に血判起請文を提出させる。
1597 慶長 2 「伏見城」が完成。 第二次朝鮮侵略(慶長の役)。
1598 3 「第二期改造計画・大坂町の中屋敷替」(~翌年3月)
大坂城の三の丸造成工事と、大規模な城下町の改造を行う。
「大坂の城下町」
上町台(生玉・玉造・渡辺等)には、武家屋敷(龍造寺町・安国寺坂・順慶町等)が並び、青物市場(京橋南詰)や魚市場(京橋北詰)が賑わう。
「船場の城下町」
三の丸の西に広がる難波潟の芦原を造成。そこは、古代からの難波宮や飛鳥に訪れる三韓「高句麗=高麗橋・新羅・百済=久太良(くだら)町」の使節が上陸する着船場の地点で、土佐堀・東堀・西堀・長堀に囲まれた「船場の城下町」を形成する。
この船場には、碁盤目の街区「東西に約4間(7.2m)の通り、南北に約3間(5.4m)の筋」を配し、大阪城へ向う直線道路が整然としていた。そこに堺、伏見、平野、阿波、土佐、近江、北陸から材木商や大工、医者、薬種商等の商人や職人を移住。惣構内の上町からは、町家や寺院の移転が命じられ、家屋は檜の木造二階建てに統一され、「太閤下水」も完備していた。
「下船場(現、西区)の城下町」
西横堀川以西には、阿波座、土佐座が出来、各地の特産品が販売。
「他の城下町」
紀州に移転の本願寺の宗主を呼び「天満」に移住させる。
津村に「北御堂」を、難波村には「南御堂」を建設。
3月 醍醐の花見を催す。
8/18 秀吉伏見城で病死(61歳)。朝鮮出兵の諸将を召還させる。
1599 4 天満の堀川を開削。天満に町家を、船場、島之内の砂州を開拓。
天満、船場を城下に組入れる。
1600 5 8月 西軍は、関ケ原の前哨戦により、家康の留守役の鳥居元忠が預る「伏見城」を炎上させ落城。
9月 関ケ原の合戦。
西横堀川は、長瀬七郎右衛門によって開削、また、阿波堀川を掘下げ、下船場(西区の船場)を造成する。