心斎橋筋の北の端は?

さて、現在の心斎橋筋は、長堀通~戎橋迄ではないのか?と疑問を感じる方が多勢おられます。しかし、延宝6年(1678年) 『芦分舟』付録には「しゅんさい橋筋ハ、南ハゑびすばし、北はよどや橋一丁上」とあり、貞享4年(1687年)『大坂町絵図』・宝暦9年(1759年)の『摂州大坂画図』にも、土佐堀川の淀屋橋の一筋東に「志んさいはし筋・心サイハシスヂ」とあります。

この資料の通り、1676年(延宝4年=元禄時代より15年前)から「心斎橋北詰の心斎橋筋の諸先輩達が、苦心をして順慶町通を右折し南下させた」のが、今の心斎橋筋の歴史を作り出したのです。
我々後輩達も、先人に負けないように商売繁盛に勢を出し頑張って行きたいものです。
さて心斎橋南詰の商店街は、179年後(1855年・安政2年=江戸時代後期)に繁栄が始まったにも関わらず、なぜ皆様は、心斎橋筋は、長堀通~戎橋迄と解しているのでしょうか? 明治5年(1872年)3月に大阪の町名が変更された時に、長堀通以南に「心斎橋筋という新町名」が生れる様になったからなのです。
従って、心斎橋筋は、現在でも『北浜3丁目~戎橋』までの2.5Kmという事になります。