心斎橋の工事

1622年
(元和8年)
長堀川に、心斎橋の木橋を架橋 (長さ35m 幅4m)。
岡田心斎 他の出費 (現在価格=5000万円)
1724年
(享保9年)
修復 工費=4貫819匁
1736年
(元文4年)
木橋の架直し 工費=16貫344匁
1763年
(宝暦13年)
修復 工費=16貫707匁
1798年
(寛政10年)
不明
1802年
(享保2年)
改造 工費=19貫965匁
1824年
(文政4年)
木橋の大修復 工費=13貫208匁
1846年
(弘化3年)
改造 工費=約19貫
1867年
(慶応3年)
木橋の上廻り改造 工費=84貫369匁

心斎橋の木橋の模型
1873年
(明治6年)
鉄製弓形トラス橋 工費=19,053円
昭和3年から「新千舟橋」として復活 (現、鶴見緑地公園内の篠掛橋)
1909年
(明治42年)
11月完成 大阪初で唯一の二連石造アーチ橋 工費=72,234円
心斎橋(絵はがき)
アーチには成型された御影石が積まれ、側壁は横長の石が水平に重ねられた。中央の橋脚の上には、ギリシャ建築を思わせる柱頭飾りを持つ二本の石柱によって支えられており昼間は、川面に写る姿から眼鏡橋とも呼ばれ、大阪の二重橋として親しまれました。高欄の欄間には「四葉のクローバー飾」がズラリと組込まれており、夕方になると、脚立を肩にした男が現れ、有名な背高のガス燈に一灯づつ火入し、水面に映る光景に優雅さが感じられ、随分遅くまでガス灯は灯っていました。
1945年
(昭和37年)
長堀川が埋立られ、心斎橋が撤去されました
埋め立て工事中の心斎橋下(撮影は春木洋次氏)
1947年
(昭和39年)
長堀川に地下駐車場が誕生し、心斎橋は歩道橋となり復元改造されました。
工費=約4,000万円

長堀川は、船場の南端に位置し、この川に面した通を末吉橋通と呼んでいたのですが、長堀通の改造計画により、長堀通と改名されたのです。
1996年
(平成8年)
クリスタ長堀の地上橋に復元(長さ 約7.5m 幅12m)

現在の心斎橋は、明治42年当時の心斎橋を縮小し分割され、モニュメント化したものでアーチの橋脚と欄干の一部が残されています。地域の人達は、新心斎橋には川面を再現して欲しいと要望。しかし大阪市は、クリスタ長堀に、水は流さないと対立していました。地元の代表として交渉に当った私は「設計図では心斎橋の東西面に硝子の山並みの屋根が描かれている。この山頂から谷間の橋脚に向かって水を流す事は出来ないのか」「橋道には、毎日4万人の通行が見込まれ、煙草の吸殻、空缶、チラシや花紙等のゴミが捨てられ見苦しくなる」「一体、誰が回収にあたるのか?」「そこで、水を流し橋脚部でゴミを回収すべき」「大阪市は、平気で護美ダメを作る計画か」「これは大きな設計ミス」と注文を付ける。その結果、『心斎橋に川面が再現、地上と地下からの両面より川面が見られる』と大阪の名所が出来上りました。