心斎橋筋の発祥地は?

1622年(元和8年) 長川(おさがわ)の川幅を堀下げて広げ「長堀」を造り架橋したのが、伏見の職人岡田新三(心斎)達で「心斎橋」と名付けたのです。(長さ35m 幅4㎡・現在価=5000万円) そして、堀上げた盛り土を造成し家屋敷を建て 「船場や島之内」心斎橋の木橋 復元図を造りあげたのです。 1676年 (延宝4年) 「日本の夜店の元祖」…『心北夜見世』 『心斎橋筋北 商店街が発祥』(元禄時代の12年前)『摂津名所図会大成』には「幕府から夜間営業が許可されると、人々は、順慶町通りの心斎橋しばしも往来の間、断えなく」とその形相は、新町橋の上まで夜店が並び、順慶町通りから右 左折し、心斎橋筋へと自然に流れ込む様になり、北は博労町の心斎橋筋 順慶町夜見世道半ば、南は安堂寺町辺り迄を行き交う様になり、船場から「商の原点」が始まり、心斎橋筋の商店街が発足し始めました。

『心斎橋筋北は商いの原点』
『浪速の賑ひ』には、この順慶町の夜店について「黄昏の頃より往来の左右に店を出し、種種の品を飾り、おもひおもひの標の行灯(あんどん)を照らす事、万灯の如く」とあります。これが『なにわの小売の原点』です。

1680年10月20日頃 誓文払
心斎橋筋 順慶町夜見世
心斎橋の木橋 復元図